成長の布石

〜今日の自分をちょっぴり上回る明日へ〜

地震の怖さ

私は宮崎県に住んでいます。

報道で御存知の方も多いと思いますが、
熊本県で阪神大震災に並ぶ、
大地震が発生しました。

 

宮崎県もこの地震の影響を受け、
最大で震度5強の揺れを観測した地域もあり、また、
真夜中の地震発生ということで、
眠れない日が続いております。

 

おそらく、熊本県以外の九州各県、
同じような不安を抱えながら、生活しています。

 

「自分はなんとか助かる」その考えは危険すぎる

スマホに届く、地震発生アラームが、
すごい音量とともに鳴り響いてくれるおかげで、避難準備に入ることができます。
ありがたいことです。

 

しかし、毎日毎晩鳴るので、
不安も少しずつ募っていきます。

 

我が家は海が近く、海抜も高くないので、
津波には特に注意を払っていますが、
高台が安全かと言われれば、現在の熊本県の惨状からすると、
一概に安心できないことが分かるかと思います。

 

「自分は大丈夫でしょう」という考えは、
一気に無くなりました。そんなに簡単なことではないと。

東日本大震災の教訓を胸に動くべき時はまさに今!

5年前に東北地方を襲った、
大災害を忘れることなどありません。

 

北野さん(ビートたけしさん)が以下のコメントを
当時発表していたことが今も私の脳裏に焼きついています。


常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えて しまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、 被害者のことをまったく理解できないんだよ。

 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。

 一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。

 そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。

 だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。

 逆に言えば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかという証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、国内 で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心からその重さ がわかるんだよ。

 

私は本気で生きていくことを、
これからも続けていきます。

 

まずは自分と家族の命を守ること。

 

忘れてはいけない。過去の恐怖と悲しみを。

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